こんにちは、ののです☺︎
前編に続いて、ドブロブニクとモスタルを5日半の休みで楽しむモデルコースを書いていきたいと思います。
*今回のプラン*
4日目-月曜日-
この日はHISを通して予約したオプショナルツアーで、ドブロブニクから国境を超えてボスニアヘルツェゴビナに行きました。
私がボスニアヘルツェゴビナという国を初めて知ったのは、『地雷ではなく花をください』という絵本がきっかけでした。でも当時子供だった私には、”地雷がいっぱい埋まっていて危ない場所”と”綺麗なお城があるヨーロッパ”という場所を結びつけることができず、ボスニアヘルツェゴビナがある場所や紛争の経緯を知ったのはずっと時間が経ってからです。
悲しいことに今でも地雷が残っているエリアはたくさんありますが、今回訪れたモスタルや首都サラエボなどの観光地では地雷は除去されて舗装されており、観光客が地雷の被害に遭うことはまずありません。
ボスニアヘルツェゴビナ内戦においては、メディアによるPRが戦局に大きな影響を与えたと言われています。多くの取材をもとに、国際世論がどのように作り上げられていったか書かれた『戦争広告代理店』は、ボスニアヘルツェゴビナという国を理解するのにも、とてもいい本だと思います。私はボスニアヘルツェゴビナを訪れてから読みましたが、この本を読んでから訪れていればさらに学びの多い旅行になっただろうと思います。
7:00 ホテル出発、ボスニアヘルツェゴビナへ
ホテルで朝食を取り、ツアーの集合場所に指定されているホテルのエントランスに向かいました。
HISを通して予約したので、なんとなく、「日本人がいっぱいいて英語のリスニングも頑張らなくていいかな〜バスの中では荷物とか油断できるかな〜」なんて思いながらバスに乗り込んだのですが…私たち以外日本人はおらず…自由行動後の集合時間だけはうっかり聞き逃さないように必死にガイドさんの英語をリスニングしました…!(笑)
ちなみにですが、最終目的地であるモスタルに行くための最短ルートを通ると、クロアチア→ボスニアヘルツェゴビナ→クロアチア→ボスニアヘルツェゴビナ、と3度も陸路で国境を越えます!というわけで、今まで飛行機と電車しか見たことのなかったEUの入国スタンプに、新たに車のマークのスタンプが追加されました!(イギリスは入国審査があるため、ユーロスターにのれば電車マークのスタンプが手に入ります!)残りの船のマークをどこかで手に入れたいですね✨
国境を通過するにあったって印象的だったのはクロアチア→ボスニアヘルツェゴビナはほとんど時間をかけずに通過できるのに、ボスニアヘルツェゴビナ→クロアチアは時間がかかりがちなことです。
最初にクロアチアからボスニアヘルツェゴビナに入国した時に、バスガイドさんが「今、入国審査なしでボスニアヘルツェゴビナ側に入りました〜」というので、「あれ?ボスニアヘルツェゴビナってシェンゲン協定の範囲内だっけ…?」と思いましたがそんなことはなく(2021年現在、パスポートコントロールなしで国境を通過できるという取り決めのシェンゲン協定に、ボスニアヘルツェゴビナは加盟していません。)、単に審査がとても緩かっただけです。ただ、ボスニアヘルツェゴビナ→クロアチアの入国審査の際も、ツアー客のパスポートをまとめて回収しての入国審査だったので、観光客については警戒されていないのかもしれません。
10:30 クラヴィツェ(Kravica)の滝
ボスニアヘルツェゴビナ最初の目的地、クラヴィツェの滝です。心が落ち着くような場所ではあったのですが、雨が降っていたことと、日本にいると、この高さの滝には割と簡単に出会えるため、モスタルにより時間を割けるツアーに参加しても良かったかなとも思いました。
道中立ち寄った休憩所の近くはボスニアヘルツェゴビナのリゾート地だそうで、なんだかドブロブニクよりもゆったりした時間が流れているなぁという印象でした。
12:30 モスタル着
いよいよモスタル到着です。前半はツアーガイドのお兄さんの説明を聞き、後半は自由行動という形でした。
このガイドのお兄さんも、6歳の時まで紛争を経験したという人でした。途中の空き地で立ち止まると、「空き地について解説するガイドも珍しいと思うけど…。ここはシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)があったところなんだ。内戦の前はユダヤ教徒もたくさんこの街に住んでいたけれど、迫害を受けて亡くなったり逃げて行ったりして、ほとんどいなくなってしまった。内戦が終わってもここには帰ってくることはなくて、結局シナゴーグは再建されないままなんだ。」と話してくれました。
こんな建物も残っています。
モスタルの中心部に残っているのは、あえて残しているのかもなとも思いますが、モスタルへの道中で、バスの中からもこのように壊れた建物を時々目にしました。
さて、ついにスターリ・モストが視界に入ってきました。スターリ・モストというのは「古い橋」という意味で、橋の西側にはカトリック系の人々が、東側にはムスリムの人々が暮らしています。
橋は紛争で壊れ、その後しばらく放置されていましたが、2004年に崩れた破片を拾いながら再建され、今では川の両サイドの住民をつなぐ平和のシンボルとなっています。
スターリ・モストの名物が、橋から川への飛び込みです。
なんとこのおじさんは、観光客が35ユーロ払うとこの橋から下に飛び込むそうです…!私だったら35,000ユーロもらっても無理…!
ガイドのお兄さんが「昔は、結婚するために男性はみんなここから飛び込まなきゃいけなかったんだよ。今は紙にサインするだけでいい。神に感謝だね。」と言っていました(笑)
もう一度スターリ・モストの写真を載せますが…この高さですよ!?
なお、飛び込みおじさんへの支払いだけでなく、モスタルの観光地全体でユーロが使えます。お釣りもユーロでもらえます。便利ですが、ボスニアヘルツェゴビナの紙幣である「兌換マルク」も使ってみたかった気もします。ドイツマルクはもうなくなっているのに、「マルクと固定レートで交換しますよ」という名前の通貨がまだ残っているのはとても興味深いです。
橋の上では大きな野良犬が気持ちよさそうに寝ていました…(笑)
ムスリム系住民が多い側のお土産屋さんでは、オリエンタルな雰囲気のお土産が売られていて、同じ街に異なる文化の人々が共存しているのだなと実感しました。
集合時間まで時間がなかったので急いで昼食をとり、また長い道のりを通ってドブロブニクへ戻ります。
ツアーの集合場所となったこちらの建物にも、銃弾の跡がたくさん残っていました。
途中の道ではバスで数分走るごとに、教会やモスクの横を通過しました。「ミナレットとドームがあるからあの建物はモスクだな」と思った直後に十字架のある教会の横を通過して、また数分走るとモスク、といった感じです。
これだけたくさんの宗教施設があるほどに、強く宗教を信仰している人がたくさんいて、宗教の違いも影響していた内戦のことを国民がどう感じて生きているのだろうなと気になってしまいました。
19:30 ドブロブニクのホテル着
帰りの国境審査にとても時間がかかってしまい、予定より1時間半遅くホテルにつきました。長時間のバス旅で疲れていたので、ホテルのレストランでぱぱっと晩御飯を済ませ、(いつものことですが(笑))早めに寝ることにしました。
5日目-火曜日-
観光最終日は、ドブロブニクカードについていたバスチケットを利用してツァヴタットに行きました。ツァヴタットのスペルはCavtatです。難しい…読めない…(笑)
8:00 ホテル発
ホテルで朝食を取り、ドブロブニク旧市街のケーブルカー乗り場近くにあるバス停に向かいます。
9:00 バス乗車
私が利用した際は10番のバスがツァヴタット行きでした!
9:45 ツァヴタット着
バスを降りてすぐのインフォーメーションで地図やパンフレットをもらい、観光開始です。
ツァヴタットはドブロブニクに比べ観光客も多くなく、ゆったりのんびりするのにちょうどいい場所でした。
綺麗な海を見ながら散歩をしたり、カフェでまったりしたり。
有名観光地になる魅力のある場所ももちろん大好きですが、”喧騒から離れたヨーロッパの郊外”、みたいな場所をゆっくり散歩するのも素敵な時間の使い方かなと思います。
12:00 ランチ
“konoba KOLONA”でランチをいただきました。私が食べたのはこちらの鮪のパスタ。
味も美味しかったのですが、それ以上に、ヨーロッパの街角で、爽やかな風を感じながら食べられるテラス席が最高でした。
14:00 ドブロブニクへ
ランチ後また少し周辺を散策して、ドブロブニクに戻るバスに乗り込みます。
15:00 ドブロブニク着
翌日はホテルから直接空港まで送迎してもらうため、旧市街はこの日で見納めです。
ドブロブニクカードにチケットがついていたものの、入れていなかった博物館等に行ったり、お土産を購入したりして過ごしました。
19:00 LAPAD地区に戻ってレストランへ
初日に予約でいっぱいで入れなかったレストランPANTARULへやってきました。
さすが人気店だけあって、とても美味しかったです。味だけでなく見た目も可愛く、大満足な夕食となりました。
改めて、美味しいレストランをちゃんと予約しておくのが大事だなと思いました。
20:30 ホテルで荷造り
夕食後、ホテルに戻って荷造りをしました。
6日目-水曜日-
7:00 空港へ
ホテルで朝ごはんを食べ、空港に向かいました。
ドブロブニクからヘルシンキまで行き、飛行機を乗り継いで羽田へ向かいます。
7日目-木曜日-
9:00 羽田着
時差の関係で、日本に到着すると次の日になってしまいます。
ドブロブニクを夜に出発する飛行機もあるのですが、ヘルシンキを夜中に出発する便にぎりぎり乗り継げず、結局この時間の到着となってしまいます。
今後の増便に期待したいですね!
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最後に、かかった費用の大体の合計と内訳を公開します。
¥262,000
(内訳)
¥180,000 航空券代
¥30,000 ホテル代
¥6,000 ドブロブニクカード代(3日券)
¥5,000 Wi-Fi代
¥20,000 食費
¥10,000 オプショナルツアー代
¥5,000 空港までの送迎
¥5,000 お土産代
¥1,000 海外旅行保険代
オプショナルツアーの料金は少し記憶が曖昧ですが、大体このくらいの料金だったかと思います。
いつか、ザグレブやサラエボなどこの旅行で行けなかった首都にも行ってみたいなと思います!今度はカメラを持って!
インスタに他の旅先の写真も載せているので、お時間のある時にご覧いただけると嬉しいです☺︎